マサカリ投法で活躍し、野球殿堂入りも果たした村田兆治さん。
そんな村田兆治さんの結婚相手の妻や子供など家族について気になります。
調べてみると、かつて村田兆治さんが大怪我をした時に妻がかなり支えになったようです。
そこで今回は、村田兆治さんの妻の顔画像や名前、子供(娘・息子)についてもお伝えしていきます。
村田兆治の妻(嫁)は元グラウンドホステス!【顔画像】
村田兆治さんの妻の情報です。
・元航空会社のグラウンドホステス
・短大の英文科卒業
・語学学校にも通っていた
・英語に長けている
・料理上手
1990年には共同で新語・流行語対象 特別部門人語一体・語録賞を受賞しています。
村田兆治と妻(嫁)とのエピソード
村田兆治さんと嫁は1974年頃に結婚しています。
馴れ初めについての情報は見つかりませんでした。
結婚した時期は、1991年に出版された本の説明文にありました。
子育てから夫婦生活まで妻と夫が思いのたけを「兆兆」発止。結婚して17年、村田家の台所をひとりでまかなってきた女房が、夫の世話から子供のしつけまで、知られざるエースの素顔を初公開。引用元:amazon
1991年の時点で「結婚して17年」とあるので、1974年頃に結婚したという計算になりますね。
村田兆治さんが25歳頃のことですね。
妻は、1982年に村田兆治さんが右肘を故障し、1983年に治療のため渡米を決める時も背中を押したり、海外での通訳としても活躍しました。
またリハビリの時も妻が大変支えになったそうです。
村田兆治さんと妻が共に書いた本を出版されており、村田兆治さんの世話から子供のしつけまで、家庭での様子が綴られていますよ。
また、結婚してまもない頃に、村田兆治さんが妻が料理の手を少し抜いたことに腹を立て、テーブルをひっくり返したという話もありました。
テーブルがちゃぶ台だったかわかりませんが、昭和を感じたり村田兆治さんの性格が伺えるエピソードですね。
村田兆治の娘や息子の職業は?
1974年頃に結婚しているので、仮に翌年に子供が生まれたとして、40代のお子さんがいるかもしれませんね。
噂によると、息子は電通、娘はテレビブロスの編集にいたとのこと。
村田兆治さんはかつて公演依頼.comのインタビューで娘の就職にまつわる話をしていました。
そうそう、昔、娘から就職の相談をされたのです。彼女が出版社に行きたいと言うので、「最近は不景気で出版社も給料悪いらしいぞ」とアドバイスしたら、「お金は後からついてくるんじゃないの?」と返されてしまった。いや、確かにそのとおりでした(笑)。
引用元:公演依頼.com
(村田兆治さんの逮捕を受けてか、現在当記事は削除されています)
この話の中で、「娘が出版社にいきたいと言っている」とあります。
もしこの希望が現実となり、出版社に行っているならば娘がテレビブロスの編集にいたことも事実である可能性が高まりますね。
(テレビブロスは東京ニュース通信社が発行するテレビ情報誌)
また、息子については早稲田大学でテニスをしていたという話もあります。
野球をやっていたのなら注目されていたと思うので、本当にテニスをしていた可能性がありますね。
なお、村田兆治さんは1994年にベストファザーイエローリボン賞を受賞しています。
ベストファザーイエローリボン賞の主催は日本メンズファッション協会と日本ファーザーズ・デイ委員会で「その年最も素敵なお父さん」に贈られる賞です。
村田兆治のプロフィール
村田兆治さんのプロフィールをお伝えします。
「マサカリ投法」村田兆治容疑者を羽田空港で現行犯逮捕 女性検査員に暴行容疑 通算215勝(スポーツニッポン)https://t.co/ggSa9SU0lx pic.twitter.com/mNIdRal8Hf
— LINE NEWS (@news_line_me) September 23, 2022
名前 | 村田兆治(むらた ちょうじ) |
生年月日 | 1949年11月27日 |
年齢 | 72歳(2022年9月現在) |
出身地 | 広島県豊田郡本郷町(現:三原市) |
出身校 | 福山電波工業高校(現:近畿大学付属広島高等学校福山校) |
職業 | コーチ、解説者、評論家 |
球団歴(選手時代) | 東京オリオンズ・ロッテオリオンズ |
球団歴(コーチ時代) | ロッテオリオンズ・福岡ダイエーホークス |
身長 | 181cm |
体重 | 78kg |
村田兆治の記録・受賞歴
村田兆治さんは投手で活躍され、数々の記録を残しました。
また野球以外の受賞もしているのでご紹介していきます。
野球での記録・受賞歴
村田兆治さんの野球での記録や受賞歴を主なものを抜粋しご紹介します。
1974年:日本シリーズ最優秀投手賞
1975年:
最優秀防御率 防御率2.21
最多セーブ投手 13回
1976年:
最優秀防御率 防御率1.82
リーグ最多奪三振 202奪三振
1976年〜1979年:4年連続2桁暴投
1977年:最多奪三振
1979年:最多奪三振 230奪三振
1981年:
最多勝利(開幕11連勝)
最多奪三振
1985年:カムバック賞
1989年:通算200勝
2005年:野球殿堂入り
野球以外での受賞歴
村田兆治さんの野球以外での受賞歴はこちらです。
1990年:
新語・流行語対象 特別部門人語一体・語録賞
「昭和生まれの明治男」
妻と共同受賞
1990年:都民文化栄誉賞
1994年:ベストファーザーイエローリボン賞
まとめ
ここまで村田兆治さんの家族(妻・息子・娘)についてお伝えしました。
村田兆治さんの妻は淑子さんといい、元航空会社のグラウンドホステスでした。
1974年頃に結婚され、村田兆治さんが怪我の時には強く支えになりました。
子供は息子と娘がいるようで、噂によると息子は電通、娘はテレビブロスの編集にいたとのことです。
以上、村田兆治さんの家族についてお伝えしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。